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李秉用(イビョンヨン)写真展
 「ワン ビール(One Birr)の勳章(The Value of Honor)」

「国連軍(UN)21カ国の韓国戦争参戦 勇士の写真プロジェクトVOL1 エチオピア編」

日  程 10月20日(火)から11月17日(火) 9時〜19時
場  所 汐留メディアタワー3階 ギャラリーウオーク
(新交通ゆりかもめ汐留駅改札口左手すぐそば
    会期中無休 入場無料

 (1) 国連軍(UN) 21ヵ国 韓国戦争 参戦兵士 写真プロジェクト

 <1>趣 旨
 韓国戦争は韓国軍死亡者約13万名、それから負傷、失踪者を含め約60万名、国連軍死亡 者約4万名に負傷及び失踪者約12万名に及んだ莫大な人命や財産の被害のまま休戦となった。
もう韓国戦争から57年の歳月が経っていた。
韓国戦争参戦兵士の多くの方はすでに亡くなり、生きている方も高齢である。 北朝鮮の侵略で瀬戸際に立った韓国を助けるために、命と青春をかけた兵士の57年の歳月 が経った今の姿から韓国戦争を振り返ってみるとともに、感謝の心を込め彼らの犠牲を心に刻むためにこの写 真プロジェクトを企画したのである。

 <2>制作期間及び対象国
1)制作期間:2007年1月〜2017年12月、10年間
2)制作対象国:韓国戦争参戦国連軍21が国(医療や物資支援国5ヵ国含む)
(1)エチオピア (2)トルコ (3)オーストラリア (4)ニュージーランド
(5)フランス (6)ベルギー (7)ルクセンブルク (8)オランダ
(9)イギリス (10)アメリカ (11)カナダ (12)タイ (13)フィリピン
(14)コロンビア (15)ギリシャ (16)南アフリカ (17)インド
(18)ノルウェー (19)デンマーク (20)スウェーデン (21)イタリア


 <3>参戦国別撮影日程
1)エチオピア:一次2007年2月−3月、
       二次2007年4月18日−6月8日撮影終了
2)トルコ:1次2007年12月31日−2008年3月31日撮影終了
       2次2008年9月16日−2008年12月17日撮影終了
3)アメリカ、カナダ、コロンビア: 2010年上半期−2012年10月撮影予定
4)フランス、ベルギー、ルクセンブルク、オランダ、イギリス、ノルウェー、 デンマーク、 ギリシャ、
  イタリア, スウェーデン(以上10ヵ国): 2012年10 月−2014年12月撮影予定
5)オーストラリア、ニュージーランド、タイ、フィリピン、南アフリカ、インド:
  2014年 12月−2015年6月撮影予定

 <4>制作内容
1)韓国戦争参戦兵士のポートレート
2)韓国戦争参戦兵士や家族や兵士の日常生活
3)韓国戦争関係の写真や資料収集
4)その他


 <5>以後のスケジュール
 忘れ去っていく韓国戦争を記憶する展示の場を設ける。
参戦兵士を亡くした未亡人や遺児 との交流の場を作り、
その国の文化などを紹介したりしながら、
韓国や世界の青少年に世 界平和の教育が出来る空間に作り上げる。

 (2) 評 論
 忘れ去っている記憶、放られている兵士

 韓国釜山デェヨンドンにはUN墓地がある。
韓国戦争参戦21ヵ国からの兵士のうちの一部 はいまだに母国に帰られず、異国地に眠っている。
毎年6月6日と6月25日には韓国大統領、釜山市長、外国大使から送られた花束がめもりあるとう記念碑を飾る。
記念式典に は多くの内外国人が訪れている。
APCE会議によりは名称も“UN墓地”から“UN記念公園”にと変わった。
一事は夕方になるとアベックのデート場になり人でにぎわっていたが、 厳しい管理のせいか今は物静かな場所となり、深い眠りに入っている。
  詩人金光均は、母国に帰られないまま眠っている兵士のためにこのような詩を捧げた。

花も草も一つ育てられない
荒地の丘に、
古土に帰らぬ身となり、
水晶十字架
嵐に泣き上げる
スヨンの海

  UN墓地には1954年までは約1万1千体の遺体があったが、先進国の兵士の遺体や身元 が明らかになった兵士の遺体は本国に送還された。
だが、身元がわからなかったり、先進 国の参戦兵士だが植民地出身や傭兵など、約2千3百名はいまだに韓国に眠っている。
米軍は韓国戦争に160万名が参戦し、そのうち3万4千名の兵士が死亡したが、遺体のほとんどは本国に送還され、現在36体のみ釜山に残る。
一方フランスは3,760名を韓国戦争に 派遣し262名が死亡した。
そのたいていは本国の家族に帰られ、44体がUN墓地に眠る。


 帰れぬ無縁故兵士の眠り場

 2006年筆者と一緒にUN墓地を訪ねたフランスのパスカル・アヒルパリ第一大学歴史学 教授は、
フランス兵士はほとんど傭兵だったと断言した。
「モハメド・ラスリ軍曹 UN軍 フランス大隊、1951年3月5日」彼の墓碑には十字架ではなく三日月が彫られている。
つまり彼はイスラム教で、当時フランス植民地のアルジェリア出身であろう。
  UN軍として参戦国の中で、自国兵士の遺体が韓国に眠っているのを知らない国もある。
現に、UNも釜山にUN墓地があるのさえ把握出来ていないようである。
韓国戦争が世界 の人々から忘れられているのは事実である。
第二次世界大戦という悲惨な戦争の陰になっ たのも事実である。
しかし、韓国戦争に参戦した兵士は自国のために戦ったが愛国者として軍人として扱われていない。  私達は今まで戦争の英雄を崇めてきた。
何人犠牲にしたとしても戦争を勝利に導いたと いうことで将軍や提督の彫刻像を立て、戦死した指揮官を追悼する記念碑を立て、彼らの 英雄心と祖国への愛国心を教えてきた。
けれども名前と所属が分からない“無名兵士”は どんなにその数が多くともせいぜい小さな記念碑一つ立てるくらいた。


 外国の韓国戦争参戦兵士

 韓国戦争で死亡した兵士はUN墓地に眠っている。
ところが、戦争で生き残り無事に国 に帰った兵士、傷を負って帰国した兵士、それから遺体になって帰った兵士の家族、特に 彼らの子供たちはどうなっているのだろうか。
彼らの生き方をカメラに抑え、我々に居心 地悪さを感じさせる写 真展が李秉用のエチオピア写真展である。
  道端で出会った韓国戦争参戦エチオピア兵士の息子は、李秉用に大事に締っておいた武功勲章を見せてくれた。
<武功勲章、Asepa Daemus、大統領に代って国務大臣申泰英より >と書かれている。
それは一枚の紙であった。
韓国戦争に参戦したエチオピア兵士は6,230 名余り。そのうち122名が遺体となって帰国した。
その遺体のお棺は今もエチオピアの首 都アディスアベバの市内にあるエチオピア正教会の地下室に放置されたままであるそうだ。
韓国戦争に参戦した兵士はエチオピア政府から毎月少ない補償金で生活を繋いでいる。
すでに大半は死去し、生存している兵士は1,000人余りである。祖父の写 真を抱いている子供は母親、つまり参戦兵士の娘が孤児になっていたという。
身が休まる時もない浮浪者で さえ韓国政府からもらった武功勲章を大事に持っている兵士の息子の写 真に、顔から火が 出るほどの恥を感じた。


 一時自国からも見捨てられた兵士

 エチオピアの韓国戦争参戦兵士は、国の体制の変容につれて再び悲惨な状態におかれた。
1974年H. M. Mengistu少佐のクーデターにより H. Selassie皇帝時代の幕が終わり、共産主義国家へと変わった時のことである。
韓国戦争は自由主義を守るために共産主義と戦 った兵士はある日突然、“国の裏切り者”になった。
共産党体制の下で参戦兵士がいか に苦労したのかは言うまでもない。
彼らは生き延びるために“命と換えた勲章”を売らざ るを得なかったのである。
李秉用が“ワンビールの勲章”と副タイトルをつけたかったわけでもあろう。
<勲章一つはたったの千ウォン(One Birr)>と翻訳してよいだろう。
1990年ソ連社会主 義体制が崩れ、バザーでソ連のレーニン勲章が一万ウォンで売られていたのをみたことがある。
エチオピア参戦兵士が韓国戦争に参戦したことで本人はもちろん家族の命まで脅かされたことを、
李秉用の写真から読み取ることが出来る。

 報勲の6月になると、私達は韓国戦争参戦兵士を招き大々的に歓迎し、韓国人のために 犠牲となった外国参戦兵士を追悼し、平和がいかに大切であるかを考える。
だが、どうなっていることやら招かれた人は強大国の兵士である。
2006年9月エチオピア参戦兵士とその家族が韓国を訪れた。
その時参戦兵士の子供らが韓国への亡命を要請し た悲しい事件もあった。

 李秉用の写真は、我々が、忘れてはいけないけれども、忘れたい記憶を呼び戻している。
彼の写真から居心地悪さを感じるのは、恥ずかしくて二度と思い出したくないこと、忘れ たくてたまらない記憶が生々しく目の前にさらされるからである。
彼の写真は居心地悪さ を感じながらも足が止まり、じっと見つめざるをえないのである。
展示場を出ると彼の写真が語っている平和へのメッセージがしつこく後を追ってくる。
そのメッセージが我々を 攻めてくる

“あなたは平和にただ乗りするつもり?平和のためにあなたは何をすべきだろ うか?”と。
Lee Hak Soo/海軍士官学校教授/博物館長

 (3) 制作ノート
 撮影を行いながら出会ったエチオピアの多くの参戦兵士達は、
危機に置かれていた韓国 を助けるために参戦したという。
エチオピア参戦兵士の122名が戦死した。
それから57年が経った。
その間エチオピアにも多くの変化があった。
1974年 H. Selassie皇帝が暗殺され、
クーデターに成功したH. M. Mengistu共産主義政権は国民を破綻した。
不安な政治に 経済は不況に陥り、国民の生活は貧しくなるばかりだった。
参戦兵士の生活は悲惨だったが、韓国戦争で自由を守った自負心は強かった。

 参戦兵士のTatesseさんは
“また韓国戦争が起っても57年前と同じように従軍する”
と 躊躇なく言った。
エチオピアで会った参戦兵士からも同じことを何回も聞いた。
 彼らにとって韓国戦争は何だったのだろうか。
彼らの過去はあるが、現在の糸口はない。
韓国戦争から57年が経った今彼らはどのように変わり、どんな生活をしているのか気になり始めた。
韓国戦争の証しである彼らが歴史の置き去りになっていく。
このままではいられない。
その気持から制作を始めた。
  この写真は2007年4月18日から6月8日にかかって50日間捜し、
会うことができた エチオピア参戦兵士の記録である。

 悲しみと感動で、胸がいっぱいになる50日間であった。
韓国戦争参戦兵士会館と参戦兵士居住地のコリアタウン内を一軒一軒、何回足を運んだことか。
少なくとも3回は訪ねな いと納得がいく写真が撮れなかった。
言葉、習慣、何から何まで違う環境での撮影だったが、参戦兵士方々の快い協力により制作が無事に終わった。
50日間毎日8-10時間も歩き、10キロも体重が落ちた。

 韓国戦争は、今も我々に大きな影響を及ぼしている。
私達の周りには戦争の痛みを持っている人、参戦21ヵ国にも数え切れない参戦兵士がいる。
彼らの痛みは我らの痛みでもある。
私達に韓国戦争は何なのか、それがいかに大事な歴史なのか、
なぜ忘れてはいけないのかを、戦後57年がたった今、
エチオピアの韓国戦争参戦兵士や家族達の写真で, 韓国戦争の意味を振り替えてみようとした。

 本企画制作のために協力してくれたエチオピア参戦兵士の方々に心から感謝をする。
無論 エチオピア参戦兵士にこの制作写真を見せる予定である。
李秉用(イビョンヨン)

 プロフィール:李秉用(イビョンヨン)

 [略 歴]
1958
  チュンチョン生
1976
  チュンチョン聖水高等学校卒業
1981〜1988
  ウォンプン化学(株)勤務
1991
  日本東京工芸大学写真学科卒業
1992
  日本東京工芸大学写真学科研究課程修了

 [個 展]
2002
5 
  縦の風景(Vertical Landscape)
     
-ソウルコダックフォトサロン
2004
5 
  縦の風景(Vertical Landscape)
     
-大田BNCギャラリー
2008
6,18-7,1
  UN韓国戦争参戦勇士の写真プロジェクトVOL 1 ETHIOPIA
 
-ソウルトポハオス
2009
6,12-7,13
  UN韓国戦争参戦勇士の写真プロジェクトVOL 2 TURKEY
 
-京畿道楊平ギャラリー瓦 (WA)
2009
9,14-10,10
  UN韓国戦争参戦勇士の写真プロジェクトVOL 2 TURKEY
 
-天安、牙山KTX駅
2009
10,20-11,18
  UN韓国戦争参戦勇士の写真プロジェクトVOL 1 ETHIOPIA
 
-日本東京共同通 信社ギャラリーウオーク

 [グループ展]
1991
  故郷(Home Town)
     
-東京富士フイルムフォトサロン
1992
  故郷(Home Town)
     
-東京富士フイルムフォトサロン
1993
  故郷(Home Town)
 
-東京工芸大学SHADAIギャラリー
2006
9,1-10,8
  ソウル市立美術館企画展- Camera Work
 
-ソウル市立美術館南ソウル分館
2009
3,6-5,24
  ソウル市立美術館のコレクションの企画写 真展-読まれる写真に感じる写真
 
-ソウル市立美術館南ソウル分館

 [作品収蔵]
SHADAI Gallery
(Tokyo,Japan)  
SEOUL MUSEUM OF ART
(seoul) :ソウルの歴史(清渓川)シリーズ11点

 [展示会]
2000
  アダチハク(日本東京工芸大学教授)のダゲレオタイプ写 真展
     
-ギャラリールクス(ソウル)

 [ワークショップ]
2000
8,31-9,1
  ダゲレオタイプの作りのワークショップ企画
     
ANGMYUNG大学天安大学芸術学部写真学科- Pro Lab SEE(忠武路、ソウル)

 [お問い合わせ]
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